X(旧ツイッター)でも呟きましたが、今月であと2~3年と言われた月を超えます。
負けず嫌いな性格ゆえ、それを超えることを目標にいろいろと耐えてきました。
「帰郷し1年が過ぎました」の時はまだ病名は不明でした。
奈良に住んでいた際に、いくつもの大きな病院や大学病院などで診察を受けましたが「これまで診たことが無い」ということで、とりあえずのステロイドでの対処療法でしのいでいましたが、その副作用で副腎が萎縮し副腎不全症となりました。
悪心,嘔吐,腹痛,体重減少,筋・関節痛,倦怠感,発熱,血圧低下,意識障害など,多様かつ非特異的な症状であることが多く、急性でクリーゼを起こせば致命的な状況に陥る病態となります。
そういえば、意識消失で年何回か救急搬送されていました。
そして高ストレス、感染症時にはコルチゾールが分泌され体を順応させるのですが、私はそれができません。
広島に越してきてからは急性虫垂炎で1回救急搬送されましたっけ。
「近況あれこれ」で越してきた際の状況を記していますが、そこそこ大変でした。
そして1年が経過した頃に書いたのが「帰郷し1年が過ぎました」です。
まだ病名もわからなかった時期です。
ひょんなことから病院の先生が他県の大学病院に病理組織検査を依頼したことから「診断名:皮膚T細胞リンパ腫」につながります。
あと2~3年(中央値)といわれて今月でその3年を超えることができます。
そういえば、この前私の病名変わってましたね。
それと私の受診日以外に私の名前で枠が取られていましたね。
わざわざ時間を割いて何を調べているのでしょうか。
医師に全ての症状は伝えていないですし、進行すると化学療法やインターフェロン、骨髄移植の治療を行うようですが、受診の際にお伝えしたように私は仕事が続けれる範囲内での経口投与薬以外の治療は望んでいません。
異常リンパ節が発見されたり、異常リンパ球が5%を超えだすと余命1.5年が目安ですし、内臓に飛んだら最短数か月であることも知っています。
現在服用している抗がん剤も今の量ではやがて効かなくなることも、その副作用で免疫が落ちて危険な状態になることがあることも知っています。
それでいいです。
併発していることも副腎の影響でコントロールが難しいことも体調の実感として感じています。
平静を装うことにも疲れましたし、目標は達成できたので後は好きにさせてください。
と、後に心変わりはあるかもしれませんが、今日現在の気持ちを書き記してみます。笑
「この夏中に。」で掲載した自分ですが、読み返して今思えば、これ以前の2011年頃には既に兆候が現れていました。
もう10年以上経過しているのですね。
10年前といえば「もしかして?」に小さな写真を載せていますが、両手が使えない状態から2年が経過した頃でした。
現在は「手」に発生することがあまりないので、少しだけギターが弾けるので嬉しいのですが、弾けない期間が長かったので指が動かなかったり、フレーズを忘れていたりと四苦八苦しながら楽しんでおります。