生きていると何度か「壁」、障害ともいいますか、
それに何度か遭遇するものです。
同じような壁でも年齢や環境によって
感じる大きさも異なります。
あれほど悩んで苦しんだ大きな壁でも
いま考えると大したことなかったと思うことも。
それがこれまでに自身が成長した証なのでしょう。
痛みや障害は生きている証拠で、
それを乗り越えることが人生であるといいますが、
それでも限度というものがありますよね。(^^;
目の前にある「壁」に対して、
・迂回する
・立ち止まる
・ブチ壊す
大きく分けてこの3つでしょうか。
時間を要してもよいなら、
立ち止まり、考え、迂回できるか確認する。
立ち止まることも迂回することも
「逃げる」ことにあたらないと思います。
壁に向き合っているのですから。
立ち止まっても何も考えなかったり、
迂回すると思いきや逆方向に行くことは
逃げていることになるのでしょうが、
実際問題として立ち止まっているうちに
解決していることもあったり、
迂回した方向で新しい新路を発見したり、
何が正しいかは正直誰にもわかりません。
とった方法でさえそれがベストであったかどうかも
パラレルな世界がない限り比較することもできません。
誰にも迷惑を掛けずに生きること。
誰にも好かれて生きること。
それは無理な話です。
しかし、人に迷惑をかけ嫌われても
自分の利己を追及するとは別の話です。
そこは思いやりと社会的マナーの範囲内で。
利害関係のある話なら一方的でなく、
落としどころをどこにするかですね。(^^)
いま私に見えている壁。
落としどころを考えています。