陽だまりの中に俺はいる。
目の前には川が流れている。
山から流れ来るその水はとても澄んでいる。
反射する日差しが水面に様々な模様を与えている。
時折、魚が跳ねている。
せせらぎの音が心地よい。
直ぐ近くのキャンプでは兵士たちの談笑が続いている。
ここが戦場ということを忘れてしまうようだ。
「おい。」
誰かが俺に声を掛けてきた。
こういう時はだいたいあいつだ。
「おい、トライオード。」
「アベルか。」
「アベルかはないだろう。」
「一人で寂しそうだから来てやったのに。」
「誰が来てくれと頼んだ。」
「お前は人を寄せ付けない奴だな。」
「まあいい。」
「俺も似たようなもんだ。」
「お前は兵から好かれているじゃないか。」
「大佐にはめっぽう嫌われているがな。」
アベルは小さく笑っている。
「もうすぐだな。」
「ああ、もうすぐだ。」
見上げる空にいくつもの雲が流れる。
どれくらいの刻が過ぎただろうか。
「おい、到着したようだぞ。」
アベルが口を開いた。
カロンの別部隊が到着した。
これで隊の兵の数は300となった。
相手は500だ。
到着した隊の長とこちらの隊長が
テントに入って行くのが見えた。
ヒドラの偵察キャンプをどう攻めるかを話し合っているのだろう。
戦いになればどちらも犠牲は避けられない。
それは数日後に迫っている。
「アベル、お前は怖くないのか。」
「俺様がか?」
「お前には俺が怯えているように見えるのか?」
「いいや、そうは見えないから聞いたんだ。」
「怖くないと言えば嘘になる。」
「それに怖いと口にすれば逃げ出したくなるだろ?」
「他の兵にそれが伝搬したらどうなる?」
「負けるだろうな。」
「そうだ。負けるということは戦場では死ぬということだ。」
「仲間を死なせない為にもここいる連中はだれも恐怖を口にしない。」
「そうか。」
静かな会話は続く。
「アベル。お前に家族はいるのか。」
「忘れたよ。」
「俺じゃあるまいし。」
アベルは小さく笑っている。
「昔はいた。」
「昔?」
「あぁ。俺の村が戦場になった時に皆死んだよ。」
「そうか。」
「それから俺は一人だ。」
「お前には家族がいるのか?」
「と言ってもお前には記憶が無かったな。」
「ああ。」
今日のアベルは口数が多い。
「俺が死んだらお前が弔ってくれ。」
「なに?」
「死んだら弔えって言ったんだ。」
「この戦いに勝ち目はないのか?」
「いや、判らん。」
「戦の勝敗なんて誰にも判らんだろうよ。」
「そうだな。」
「頼んだぞ。」
そう言い残してアベルは腰をあげた。
キャンプでは兵が集まりはじめている。
隊長より何か話があるようだ。
俺もその方向に足を向けた。
「まず最初にこの2隊の指揮を執るのは後に合流した隊の長が行なう。」
「おれはその補佐となった。」
「今より作戦の発表を行なう。」
作戦の内容が兵士に伝えられている。
私には詳しい専門用語は判らないがどうやら夜の奇襲となったようだ。
多勢に無勢の戦では随分とベタな方法ともいえる。
それも含めての[奇襲]なのだろう。
「報告によるとヒドラ偵察隊キャンプ地の西、東は切り立った崖である。」
「奇襲の際には北の山側からアタックをかけるが、
降りることはできても短時間で登ることは困難である。」
「そして敵キャンプの南には大きな橋が架かっている。」
「そこで、帰還時には南の大橋を使用することになるが、
この橋が使用不能になると帰還が困難となり、
敵キャンプ内で我が軍は孤立する。」
「最悪のことを考え、山側からのアタック後ほどなくして2班に分かれる。」
「1班は敵の殲滅を最優先し、2班は橋を死守し帰路を確保する。」
「2班に告ぐ。敵兵は大橋を破壊し我が軍の孤立化を図る可能性が高い。」
「なんとしても橋を死守せねばならぬ。」
「この作戦は敵隊の殲滅を以て終了する。」
「我が軍は敵兵の降参、降伏、投降。如何なるものにも応じない。」
決行は明後日。
指揮官、近衛兵、伝達班、医療班、
そして一部の負傷した兵士を除いた全兵で奇襲をかけるという。
兵力は僅か270となった。
270対500
その差はあまりにも大きい。
さらに我が軍は2班に分かれるというのだ。
奇襲隊は明日出発する。
俺たちはヒドラ偵察キャンプから離れた場所に陣をとり、
戦いの様子をみることになる。
その間の戦況は伝達班の往来によって行なわれる。
俺も現地で傷ついた兵の治療を行いたいのはやまやまだが、
足手まといになるだけだろう。
それに俺は過去に敵の兵士の治療をしたことで、
前線に行くことをアベルから止められている。
見つかると上官に殺されるという理由で、だ。
今もなお作戦の説明は続いている。
「最後に繰り返す!この作戦は敵の殲滅を以て終了する。」
「各自準備にかかれ!以上!。」
せん・・・めつ・・・か。
道中にあったヒドラ軍に焼き払われた町と同じだ。
戦いの後には何も残らない。
いや、遺体だけは残るのか。
ジョンは怒るかもしれないが、
カロンもヒドラも結局は同じだ。
自分の身を自分で守らないニクスにも腹が立ってきた。
放牧の民というイメージから今まで何も思わなかったが、
自分の国を守るという姿勢がニクスから感じられない。
ニクスの民の多くは広大な大地で放牧して暮らしている。
もしかして国という概念がないのか。
いくなんでもそれは無いだろう。
カロンもニクスもヒドラも
何がどうなって何が正しいのか判らなくなってきた。
何の為であれ、良いことをやっている気は全くしない。
俺にあるのは恐怖と罪悪感だけだ。
もしかして、俺はそれから逃れるために
敵国の兵にも治療していたのか。
自分のことさえも判らなくなってきた。
そんな時だ。
遠くから刻を告げる教会の鐘が聞こえた。
刻の音にぞろぞろと兵が集まる。
これから夕食が始まるらしい。
いつになく豪勢だ。
少量の酒は許可されている。
隊長と隊長補佐が音頭をとる。
「カロンとニクスの為に!」
「カロンとニクスの為に!!!!!!」
そう叫ぶと皆一礼して飲み干した。
その後は皆ばらばらに好きなように過ごしている。
「最後の晩餐・・・か。」
俺は誰に言うでもなく小さな独り言を呟いた。
いつになく長い一日もようやく終りを迎えた。