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第8話 エノーラ

眠れない夜が明けた。

俺たちの隊はまた東に向けて歩き始めた。
今日はみな無言のままだ。

無言の行進が暫く続いていた時だった。

「おい、腹が減らねえか。」

誰かが口を開いた。

そういえば朝から歩き続けて気がつけば太陽は真上にきている。

「もう半日も歩いているのか。」

俺は小さく呟いた。

「この先に川が流れているハズだ。今日はそこまで歩いてテントを張る。」
「そこで2泊するぞ。」

小隊長はそう言うと昼食の準備を指示した。

アベルが小隊長と飯を喰いながら何やら話している。
聞き耳を立てている訳ではないが風の向きで聞こえてくるのだ。

「隊長、2泊もしてて良いのか。」
「ぐずぐずしていると昨夜のような集落が増えるだけだ。」

「アベル、お前の気持ちは判るが周りを見てみろ。」
「昨夜の件で皆精神的にも疲れ切っている。」

「この先で敵と遭遇したらどうする?」
「お前たちはあの光景を忘れて戦えるのか?」

「このまま先を急いでも死人が増えるだけだ。」
「私はこの隊を先で待つ隊に無事に合流させなければならない。」

「アベル。お前なら判るだろう。」

「あぁ、でもな・・・」

アベルはそう言いかけて口を閉じた。
隊長の気持ちが判るのだろう。

短い昼食を終えると隊は今夜のキャンプ地に向けて歩みを進めた。

食事と休憩のせいか、午前と打って変わって兵の表情は明るい。

「おう!」

そう言って来たのはアベルだ。

「なんだアベルか。お前とはよく会うな。」

「冷たい言い方だな先生様よ~。」

先生様?
敬称が2つも並んでいるぞ。

嫌味な奴だ。

でもどこか憎めない。

「先生様はよしてくれ。お前に言われると気持ちが悪い。」
「それにいつもはトライオードって呼び捨てじゃないか。」

「トライオードって名が気に入ってるのか?」

なんだか嬉しそうだ。
やはり気持ちの悪い奴だ。

「そうか。気に入っているのか。」

そう言うとどこかへ行ってしまった。
妙な奴だな。何か用があって来たんじゃないのか。

「ドクタ~。ドクター~。」

この声は・・・誰だったか。

エノーラだ。私の助手?・・・だ。

「呼んでるのにいつも無視ですかぁ。」

この天真爛漫というか、率直に言えば無礼な物言いは
好みの分かれるところだろう。

「お前はなぜ俺のことをトライオードと呼ばない?」

「助手が先生を呼び捨てにできないでしょ!」
「あたしだってソレくらい弁えてるわよ。」

「それともそう呼んで欲しいの? セ・ン・セ・ィ」

俺は医者だ。馬鹿に付ける薬を調合できれば
今すぐにお前にくれてやる。

「馬鹿に付ける薬をどこかに売ってないか?」

「飲み薬ならどこかにあるんじゃありません?」

合わない。
どこまでも合わない。

何故コイツが俺の助手なんだ。
どういう経緯(いきさつ)でこうなった。

「トライオード セ・ン・セ」

エノーラが俺の耳元で囁いた。

急な出来事で驚いたせいもあるが、顔が赤くなるのが自分でも判る。

「やっぱりトライオードだね!アハハッ」

「いったいどこの誰が弁えているんだ!。」

「ア・タ・シ~。」
「顔を真っ赤にしてセンセ可愛い~。」

「いい加減にしないか!」

「怒った顔も可愛い~。」

何を言っても無駄なようだ。
人には気が合う人間とそうでない人間がいる。

人を見かけで判断するなというが見かけだけじゃない。
話をして、時間も共有して、一緒に仕事をしても噛み合わないのだ。

俺は十分努力した。
これ以上の努力は必要ない。

「エノーラ・・。」

「ハ~ィ、ドクタ~。」

ここは堪えろ。必死で堪えろ。

「エノーラ、お前と俺はどうも合わないようだ。」
「そこでお前に暇をくれてやる。」
「どこでも好きなところへ行けばいい。」

突然エノーラの動きが止まった。
うつむいた肩が小さく震えているようだ。

少し言い過ぎたか。

エノーラの肩の震えはどんどん激しくなっていく。

やはり言い過ぎたか。
相手は若い女だ。
俺も少し大人げなかった。

そう思った矢先だった。

「ざんね~ん。お暇をくださるのは大佐。」
「先生の命令ではダメなので~す。」

馬鹿はコイツじゃない。俺の方だった。
少しでも言い過ぎたと思った俺が馬鹿だった。

俺はひざを落としてうなだれてしまった。

そこへダンがやってきた。
先日アベルと騒動を起こして怪我をした奴だ。

「ダン。傷の様子はどうだ。」

俺は気を取り直していつもの口調になった。

「あぁ、この前は世話になったな。」
「それにアベルのことを庇ってくれたんだってな。」
「礼を言うよ。」

「なんでお前が礼を言うんだ?」

「前にも言ったが、あいつのお陰で生きている兵士が大勢いるんだ。」
「俺もその一人だ。アベルがいなければ俺は戦場で死んでいた。」
「これまで幾度となく助けてもらってるんでな。」

「そうか。」

「ちょっと傷を見せてみろ。」

「ハイ、先生。」

エノーラだ。
どこへ行ったのかと思ったら
医療器具の入った木箱を取りに行っていたようだ。

「気が利くな。」

「助手ですから。」

先ほどのおどけた表情も仕草も一切無い。
口調まで変わっている。

さっきのエノーラとはまるで別人だ。
そういえばダンが怪我した時、私を呼びにきたエノーラは毅然としていた。
人はこうも変われるものなのか。

「先生、早く傷を診ないと私たちだけ取り残さますよ。」

「すまない。」

なんだか調子が狂う。

「ダン、大丈夫そうだ。抜糸もしておいた。」
「でもムリはするな。傷口が開いてしまうからな。」

「ダン、良かったね。」

そういうと彼女は木箱を片付けに戻っていった。

「ダン、エノーラをどう思う?」

「おい、トライオード。惚れたのか。」

顔が熱い。

また俺の顔は真っ赤になっているのだろう。

「違う!あいつの2面性のことだ!」

「そうカッカするな、トライオード、冗談だ。」

「それに、それはお前が一番よく知ってるんじゃないか?」

「俺がか?」

「お前が戦場で倒れていたエノーラをキャンプに連れて帰ったんだろう。」
「忘れたのか?」

「大佐は素性の判らない人間を連れて帰ったことで相当ご立腹だったぞ。」
「スパイかもしれないって。」
「お前が責任を持って面倒見るって大佐に願い出たんじゃないか。」

「普段何も言わないお前がしつこく言うもんだから大佐は許したんだろう。」
「条件付きで。」

「条件付き?」

「女に手を出すなってことだよ。」

それを聞いて俺の顔はまた真っ赤になった。

「彼女は彼女なりに恩を感じてお前の手伝いをしているんだろう。」

「戦場から連れて帰って1週間、彼女は生死の境にいたんだ。」
「目を覚まさない彼女をお前は辛抱に看病していたじゃないか。」

そうだったのか。

「彼女はお前の役に少しでも立ちたいと思ってるんじゃないか。」
「それに気に入られたいとも。」

「何故だ。」

「お前に見放されたら大佐は彼女を追い出すだろう。」
「この戦場で女一人どうやって生きていくんだ?」

「それもそうだな。」

「役に立ちたいにしろ、気に入られたいにしろ、
お前はもう少し彼女に優しくしてやれ。それと他の人間にもだ。」

「お前はいつも冷静というか、少し冷たい感じがする。」
「まぁいい。彼女にだけは優しくしてやれ。連れて帰ったお前の責任だ。」

「頼んだぜ。トライオード。」

「あぁ。」

そう告げるとダンは行進に戻っていった。

エノーラ・・・思い出せないんだ。

でも少しは君のことを理解できた。
やはり俺は言い過ぎた。

すまない。エノーラ。

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