「・・・セイ。」
「・・ンセイ。」
「先生!トライオード先生!」
「ロゼッタ?」
ロゼッタが俺を激しく揺さぶっている。
「ここは・・・どこだ?」
「大丈夫・・・ですか?」
俺の真似をしているようだ。
「ここはニクスの村。そしてここはロゼッタのお家。」
「あなたは名医 ドクター トライオードだぁ~。」
いつもの不毛な会話だ。
君のお陰で現実に戻ったよ。
「どうしたんだ?」
「どうしたんだじゃないですよ」
「私が眠っていたら先生のお部屋から声が聞こえてきて。」
「泥棒さんでも来たのかと思いましたよ。」
「でもよく聞いたら先生の声でしょ。」
「気になって来たんですぅ。」
「そしたら先生、すまない!すまない!って。」
「誰かに必死に誤ってた。」
夢だったのか。
「俺は他に何か言ってなかったか。」
「う~ん・・・そうだ!」
「先生、アデルはどこだ!って叫んでた。」
ああ、アベルのことだな。
「他には。」
「他には・・・・。」
「酷くうなされてたから何言っているのか聞き取れなかった。」
「そうか。」
「すまない、ロゼッタ。今何時だ。」
「先生また『すまない』って言ってるぅ~。」
ロゼッタは笑っている。
「いまは3時を過ぎた頃よ。」
「そうか。」
「夜なかに起こして悪かったな。」
「もう寝てくれて構わない。」
「こんな夜中に起こされて直ぐ寝れる訳ないでしょ。」
「すまない。」
「すまない、すまないって何回いうのよ。」
死んだ仲間が俺のことを許してくれるまでだ。
俺は心の中でそう呟いた。
「これからコーイー入れるけど先生も飲む?」
「酷くうなされてたから直ぐに寝れないでしょ。」
「汗もいっぱいかいているようだし、着替えたら降りてきてね。」
彼女はそう言って階段を降りていった。
しばらくすると良い香りがしてきた。
俺は下に降りてテーブルについた。
「はい先生、コーイー出来たわよ。」
ロゼッタ・・・・これはコーヒーだ。
二人は無言でコーヒーを飲んでいる。
タンポポで作ったロゼッタ特製のコーヒーだ。
「ロゼッタ、俺の記憶が無いことは知っているな。」
「もちろん。」
「先生の口が悪い事も知っているわよ。」
相変わらず一言多い。
「まあいい。」
「今更だが、俺はどうしてここに居る。」
「気が付いたらこの家のベッドに寝ていた。」
「どうやってここまで来たかを覚えていないんだ。」
「そうだったの。」
「てっきり照れくさくて何も聞かないのかと思ったわ。」
ロゼッタの口調が変わった。
彼女は真面目な話をする時、患者の介抱をする時は急に普通になる。
「俺が照れくさいってどういうことだ?」
彼女は俺がここに来た経緯(いきさつ)を話してくれた。
ロゼッタの話によると、俺は川の岸辺に倒れていたらしい。
村人がそれを発見してロゼッタに知らせた。
何故ロゼッタに知らせたかというと、
昔、この家にはロゼッタとその家族が住んでいた。
ロゼッタの両親はこの村で医者をしていたという。
だからロゼッタは薬草の扱いに明るいのか。
だが、ロゼッタが成人を迎える頃、
カロンから一人の使者がロゼッタの家にやってきた。
軍医が足りないから来てほしいというのだ。
カロンはニクスの為に戦っているので、
ロゼッタの両親は断る事ができなかった。
ロゼッタの父は医者であり、母はその助手をしていた。
そして彼女の両親はロゼッタ一人を残して
カロンの軍に加わったというのだ。
彼女の両親も若き娘を戦地に連れて行く訳にもいかず、
苦渋の選択でロゼッタを一人この家に残したのだろう。
両親が出兵したあとも、彼女は医者の娘として
村人の看病を行なっていたらしい。
そこで村人は行き倒れた俺を彼女に預けたというのだ。
「その時、先生は肩と足に銃弾を受けていたわ。」
「体温も下がっているし、出血も酷くて・・・。」
「一時はどうなる事かと思ったわ。」
そうだったのか。
あの時、俺は死ねなかったのか。
・・・エノーラ。
君にはまだ会えないようだ。
「先生は3ヶ月も目を覚まさなかったの。」
「3ヶ月が過ぎた頃の夜・・・。」
「どうした?」
「ちょうど今くらいの時間ね。」
「先生の部屋から声が聞こえるの。」
「すまない、すまないって。」
「先生、酷く泣いていたわ。」
思い出した。
そこから今日までの事は覚えている。
「ありがとう、ロゼッタ。」
「君は俺の命の恩人なんだな。」
複雑な気持ちだった。
「ありがとう。」
俺がそう言った時だった。
ロゼッタが元に戻った。
「へへ~ん、私に感謝してよ~。」
「照れくさいって言っていたのは俺が泣いていたからか。」
「ちがう、ちがう。」
「じゃあ何でだ?」
「聞く?それを乙女に聞く?」
「それはどういうことだ?」
「先生ってば3ヶ月も目を覚まさなかったのよ。」
その時俺は始めて悟った。
「その先はもうい・・。」そう言おうとしたが遅かった・・・。
彼女は既に話し始めていた。
「私が先生の下の世話をしてあ・げ・た・の。」
俺の顔は真っ赤になった。
「なるほど、トライードね。」
彼女は俺のあだ名の意味を知ったらしい。
「しかしだな、ロゼッタ・・・。」
俺は弁解をする。
「昏睡状態において人はそれほど用を足すものじゃない。」
「それに俺は眠っている間に何も食べていない・・・。」
そこで俺は気付いた。
俺は3ヶ月も飲まず食わずでどうやって生きていた?
俺の顔色を見てロゼッタは俺がいま、
何を考えているのか判ったのだろう。
彼女はニコニコしながらこう言った。
「ワ・タ・シ。」
指で自分の口を指している。
今、俺はどんな顔をしている?
この部屋に鏡が無いことに感謝した。
「うら若き乙女のファーストキスよ。感謝しなさい。」
墓穴を掘るとはこのことだろう。
戦場で死にきれなかった俺がこんなところで墓穴を掘っている。
仲間の笑い声が聞こえるようだ。
気を取り直してロゼッタに聞いた。
「俺がここに居る経緯はわかった。」
「それで、今、君の両親はどうしてるんだ。」
彼女の表情が曇った。
どうやら俺はまた墓穴を掘ったようだった。
「知らない・・・。」
「知らない?」
「そう、もう何年も連絡が来ないわ。」
「カロンの国からも何の報告もない。」
「生きてるのか死んでるのかさえ私は知らないわ。」
「そうだったのか、すまない。嫌なことを思い出させたな。」
「先生、また『すまない』って言った~。」
「何回すまないって言うつもり?」
「でも、もういいの。」
「ニクスの国を守るために大勢のカロンの兵が死んでいるわ。」
「そのくらい私だってしっているわよ。」
「だから・・・ニクスの民である私にはこれ以上何もいえないの・・。」
泣いているのか?
「俺は自分がどこの国の人間かも知らない。」
「カロンの軍医として仲間と共に戦ってきた。」
「君のご両親もきっと大丈夫だ。」
「俺も死にかけたが君のお陰でこうして生きている。」
「大丈夫、心配するな。」
俺の言葉なんて何の気休めにもならないだろう。
既に数年ものあいだ彼女の両親は音信不通なのだ。
あの戦況のなかだ、どう考えても希望は持てない。
それでも俺はこう言うしかない。
「大丈夫だ。」
「先生、優しいのね。」
「私は大丈夫よ。一人でもちゃんと生きてゆけるから。」
俺は言葉が続かなかった。
そろそろ夜が明ける頃だ。
小鳥のさえずりも聞こえてくる。
ロゼッタが聞いてきた。
「先生も行くの?」
「どこへだ。」
「先生は村で評判よ・・・・口が悪いって。」
彼女は笑っていた。
「うそ、うそ。怒らないでね。」
「君は私の命の恩人だ。そんなことで怒らない。」
「へぇ~そうなんだ。」
「人って変わるものね。」
「先生は腕の良い医者だって評判なの。」
「そうか。」
「村のみんなも感謝してるわ。」
「お父さんたちがいなくなって、
この村には医者がいなかったんだから。」
「評判はすぐにカロンに届くわ。」
「そうすればお父さんの時みたいに・・・。」
「先生は名医だからスカウトに来るわよ。」
「そうしたら・・・そうしたら先生も行くの?」
その後に続く言葉は多分こうだろう。
『先生も行くの?私をおいて。』
俺は何も言えなかった。
彼女の言うとおりだ。
カロンから軍医の誘いは必ずくるだろう。
そう遠くない先に。
もしかするとそれは明日かもしれない。
「はい!お終い。」
突然、彼女が空気を割った。
「そろそろ患者さんが来るわよ。」
「先生も用意して。」
彼女が白衣を投げた。
それはとても白い白衣だった。
眩しいくらいに・・・。