直近の更新は昨年の11月。
あれから、いや、その前からいろいろとありました。(^^;
ことの発端は昨年3月、妻が私に内緒で役員に会い、
「主人はもう無理です。」と伝えたことから始まりました。
睡眠もとらず、深夜でも仕事に出かけ帰って来ない。
休日も出勤する。
終業後も休日も関係なく365日24時間、職員や業者に電話対応する。
直接対応の必要があれば夜中であろうが直ぐに行動に移す。
私の上には常務役員と会長がいますが、仕事に対して指示を出している訳ではないので、実質の運営・経営の指示や実行者は私自身。
決して誰かに強いられてその状態になった訳ではないのです。
今年度は療養生活
昨年8月より会社から1年の休業期間を貰い、自己免疫疾患の為に服用していたステロイド内服薬の減量を1年かけて行うことにしました。
11月までは順調でした。
12月には健康な人の等倍までの減量に至っていました。
あとは休眠中の副腎が起きてくれば更に薬を減量することができます。
そこに実家から父が入院したと連絡が。
人口10万人に2~3人、がん全体の1%、血液がんの中でも10%の疾病に罹患していました。本人に告知することに決めたのですが、医師のスケジュールから、ムンテラと告知日が父の誕生日の日となってしまいました。
医師は「3か月の入院治療と3か月のリハビリを経て自宅で治療を」と父に説明しました。
告知前に別室で血液検査、今後の方針等の説明を受けましたが、血液検査の状況を鑑みると医師の言う治療内容とスケジュールとおりとはいかず、ショック状態による心不全のリスクがかなり高い気がしたので、血液検査の項目と抗がん剤のリスクについて質問したのですが、さらっと同じことを再説明で流されたのでそれ以上の質問は行いませんでした。
このことは今でも後悔しています。
医師と私は父の病室で告知を行い、入院期間は長くなるが自宅療養できるまで回復するので、がん治療を頑張るように父に伝えました。
私からの医師への質問も、父への諭しも録音しています。
新年を迎え暫くしたあと、父は天に召されました。
看護師が朝、病室に訪室した際には息を引き取っていたらしいです。
その1時間前は会話があったそうです。
苦しまずに逝けたのならそれで良かったと思っていますが、誰も看取っていないのでその時の様子を知る由はありません。
結果論かもしれませんが、私は父に嘘をついたことになります。
仲が悪く何十年も会っていない父。
父がもっと年老いて、私ももっと歳をとり、定年を迎え実家近くに帰った時には年寄り同士、昔のように毎日喧嘩するのだろうと思っていました。
それを楽しみにもしていました。
私はその後、寝たきりの状態になりました。
ステロイド内服の副作用は、消化不良、易感染、副腎不全、精神変調、頭痛、睡眠障害、骨粗しょう症、内分泌系異常、高血糖、頻尿、多尿、口の渇き、血糖値の上昇、血圧の上昇 、血栓、動脈硬化、皮膚トラブルなどがありますが、その殆どに該当していました。
そのうち酷かったのが「鬱状態」「不眠症状」「血栓」でした。
紙オムツ着用で歩行も壁にぶつかって止まる、方向を変える。また歩く。
トイレは大のあとおしりを拭こうと前に屈むとそのまま前に倒れてしまいます。
ベットから一人で起き上がることもできません。
幻覚もひどく、薄暗くとなると壁中に黒い太い血管のような蜘蛛の巣のようなものが張り巡らされているように見えるのです。
それは電灯を灯すと消え、消すと暫くして現れます。
また、見たこともない漢字のような呪文のようなものが壁中に見えるのです。
これもまた、電灯を灯すと消え、消すと暫くして現れます。
このような状態が続いていました。
妻は医師に自宅に来てもらい、主人はもうだめ(精神崩壊状態)かと聞いたそうです。
医師はもうだめだろうと。
その後、2月には静脈に血栓ができ、呼吸ができず救急車で病院に。
ICUに入院で妻は心の準備をしてくださいと医師から言われたそうです。
肺の静脈に指2本分も血栓ができ血管を塞いでいました。
妻は私の遺体を奈良から岡山に運んでくれる業者を探したそうです。
その頃、私は病院のベッドの上で朦朧としていました。
横にはお棺に入った父がいました。
何も言いません。
お葬式前の状態そのままです。
迎えに来たのかと聞いても返答なし。
その後私は無事に退院することができましたが、夏までに会社に復帰できる見込みはありません。
昨年実家が被災したこともあり、8月を待たず3月で職場を退職しました。
4月には椎間板ヘルニアを再発し歩くこともままならない状態に。
5月に母の実家のある広島県に引っ越し。
移動することの出来ない防音室やいくつかの機器は売却することに。
引っ越しの準備や引っ越し作業は全て妻が行ってくれました。
もともとステロイドの副作用で太っていたこともあるのですが、体重は25kgも減り、 鬱状態は更に悪化。
4日連続で眠れません。5日目でも1.5時間程度。
体力も精神力も悪化の一途です。
妻に離婚を申し出たのもこの頃です。
夫としての責任をはたすどころか妻に精神的、身体的な危害が及ぶ前にと思ってのことでした。
それと誰に嫌われても妻にだけは嫌われたくありません。
その前に別れた方がお互い、いや、私が楽になりたかったのでしょう。私の身勝手な考えです。
片付けも終わりかけた8月。
良い医師に巡り合うことができ、たとえ僅かでも毎日睡眠をとることができるようになりました。
自己免疫疾患だけは今でも毎月奈良に通っています。
先週から「気力」が少しだけ戻り、20本のギターとベースの梱包を解き、弦の張替えを行いました。
鍵盤楽器もセットしました。
DTMパソコンと機材もセット。
いつでもレコーディング可能な状態です。
寝室にもエフェクターとノートパソコン、ギターをセッティングしました。
両指の関節がうまく動かないのでピックを落としてしまいます。ティアドロップより持ちやすいトライアングル型にしました。(^^)
感情のコントロールができず、癇癪を起して叩き壊してしまった「 Ibanez GA37STCE 」
残骸を処分しようと思いましたが、自分への戒めのためにとっておくことにしました。
必ず病気は回復させる、せめて社会生活が送れるまでに回復させる。無駄にはしない。だから許してほしい。
あれこれあったけど、先週から何かをしようという意欲がでてきたという経過記録でした。
コメント
ももさん
今も本当に大変な状況かと思いますが…
ももさんが回復していつかまたギターや音楽が聴ける時を待ち、
あたたかく、やわかな日々が送れることを心から願っております。
とにかく今はご自分のことを一番に、大事にしてくださいね。
REACH_rh さん、こんばんは。
私の療養で大変なのは妻の方だと思います。
薬の副作用とはいえ重度の精神障害になってしまったのですが、もしや脳に異常があるのかと脳のMRIを撮ってみたものの異常なし。
その病院の先生に入院設備のある精神科への受診を勧められたので、近隣の精神病院いくつかに問い合わせしてみたのですが、状況を説明すると「うちでは対応できません。」と問い合わせた全ての病院に断られました。(^^;
最後の頼みと思って受診した診療所で処方された薬が合ったようで、5日に一回1.5時間という睡眠サイクルが毎日1.5時間以上寝むれるようになりました。それでも3時間程度ですが。(^^)
睡眠が取れるようになると、精神状態も少し改善し、何かをしようとする意欲も出てきました。
久々にギターを弾いたら、リズムどころかピックもまともに持てなくなっていてびっくりです。笑
暫く更新されていないので心配しておりましたが、いろいろ大変な事になっているようで本当に胸が痛いです。少しずつでも快方されるよう心よりお祈りしております。
ash さん、こんにちは。
「長い人生のうちの数年のことなぞ」と思ってやり過ごすことにしました。
最初は、はやく治して職場でバリバリと思っていましたが、なかなか思うように事は進まず。
これまでが忙し過ぎたので少々のブレイク期間です。笑
もう大分前に共通の興味関心(ギター、カメラ、天体観測、ミニチュアダックスフント等々)でこのブログを見つけ、ずっと拝読しています。ここしばらく更新されずに心配しておりました。
私も音響関係のエンジニアから公立中学校教員。20年弱勤めましたが校長と意見が合わず平行線のまま退職してカメラマンの助手、食品関係の会社、うつ病を発症して専業主夫、一応寛解で塾教師のアルバイトと紆余曲折ですが、なんとか好きなことをしながら、生きています。
無理なさらずに、また色々なことが出来る日が必ず来ますので、また様々な内容の写真や文章を読めるときを楽しみに待っております。
和浮人さん、こんばんは。
何とか今年度中には安定までもっていきたいところですが、
薬の減量は急ぐと逆効果でもあるので人生の流れに任せることにします。(^^)
とりあえずは引っ越したばかり、といっても3ヶ月少々経過しているのですが、やっと片付けもひと段落。
この地に慣れることからはじめ、余裕があれば時々このブログも更新していきたいと思います。
これからも宜しくお願い致します。