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第3話 ドクターと呼ばれる男

ベースキャンプに帰った頃にはすっかり陽も暮れていた。

ジョンはどこか誇らしげだ。
穴の空いたバケツは川魚で一杯だ。

さっそくキャンプでは薄明かりの中酒盛りが始まる。

戦場というものは緊張感で溢れていると思ったが、
キャンプの中の空気はそうでもない。

気を張ってばかりでは精神が持たないのであろうと
何故か人ごとのように感じている俺がいた。

誰か来る。
ジョンではないようだ。

「おい、お前。飲まないのか。」

「あぁ、俺はいい。」

「へっ、有名人だからといってお高くとまりやがって。」

俺が有名人?

「俺が釣ってきた魚を勝手に喰うんじゃねえって言ってみろよ。」

「・・・・・。」

「どこまでも立派な奴だな。気に入らねぇ。」

相当酔っているようだ。

「少しは明日の事を考えたらどうだ。」

俺がそう言った瞬間だった。
彼は急に俺の胸倉を掴み上げて手を振り上げた。

周囲が一瞬静まったように感じたのは気のせいか。

「てめえ!これ位の酒で俺様が酔っぱらうと思っているのか!」

彼の赤く見開かれ眼は俺を鋭く睨みつけている。

「おい、そのへんでやめておけ。」

上官らしき男が静かにその場を制止した。

「アベル、いい加減にしておけよ。お前の為だ。」
「トライオードもいちいち構うんじゃない。」

この血気盛んな大男はアベルというらしい。

そして俺はやはりトライオードと呼ばれている。
トライオードは人の名前では無いと思うのだが。

アベルは上官に促され薄明かりの向こうに消えていった。

俺は上官に頭を下げて静かに腰を落とした。

上官が俺の横に腰を掛ける。
軍服には彼の名であろうクレイグという名が書かれていた。

「クレイグ・・・。」

「ああ、階級か?俺は大佐だ。」

俺が言葉に詰まると彼はそう言った。

「大佐、俺たちはいつまでこうしてる。」

「ヒドラの連中が引き下がるまでだ。」
「そうは言っても今回はそうやすやすと引き下がりそうにないがな。」

「そうか・・・。」

思わず溜息が出た。

「前線の偵察兵も確認しているが、相手方に大きな動きはないようだ。」
「長期戦になるかもしれない。休める時はゆっくり休め。」

そう言うと彼もまた薄明かりの中へ消えていった。

酒盛りはまだ続いている。

このキャンプには50人位の兵がいるようだ。
人種は様々。怪我をしている者も大勢いる。
暗くてよく見えないが女性も何人かいるようだ。
状況から推測するに決して楽な戦いでもない様にみえる。

キャンプは薄明るい。
いや薄暗いと言ったほうが正解か。

敵に発見されないようにだろうがそれにしても暗い。
奥が見えない程に暗いのだ。

灯りといえばランタンに火が灯っている程度で、
電気的な設備はない。

電気がない?

こんな山奥に電線は来てないのだろうが、
それにしても発電機くらいは用意してないのか。

そして再び頭の中に質問が過る。

俺は誰だ。

俺はトライオードと呼ばれている。
凡そ人の名前には似つかわしくない名前だ。

トライオード・・・・。

そんな中、女の声が聞こえてきた。

「・・・クター。」

誰かを呼んでいるようだ。

「・・・クター!」

それは段々と俺に近づいてくる。

「ドクター!さっきから呼んでるのに聞こえないの!。」

俺のことか?

「あっちで酒飲んで暴れて怪我人がでているの、早く!」

俺は彼女の後をついて行った。
そうするしか方法はなかった。

「あそこよ。」

アベルだ。
さっき俺に絡んできた大男だ。

その先に男が頭から血を流して倒れている。

意識はあるようだ。

俺に絡んだ後も絡み足りなかったのだろう。
別の場所で他の兵に絡んでいたようだ。

そこで取っ組み合いになったのであろう。

先程俺を呼びに来た彼女が木箱を挿し出す。
どうやら救急セットのようだ。

俺は徐に木箱の蓋を開け、中身を確認した。

消毒液と包帯を取り出し、怪我をした兵の手当をする。

これでいいのか?
俺に求められている役目は。

何も判らないまま手当を進める。

包帯を巻こうとした瞬間だった。

「ドクター、それ縫わないとダメなんじゃない。」

彼女がそう呟いた。

「縫う? 俺がか?」

「当たり前でしょ。あんたドクターなんだから。」

そうか。
俺はドクターだったのか。

「早く縫わないと血が止まらないわよ。」

そうは言われても、針と糸を持ったことは無い。
ましてや人に使った覚えもない。

どうすればこの場をやり過ごせる?

「何してんのよ!」

彼女は俺に糸の通った針を手渡した。

万事休すとはこのことだ。

何もしなければ怪しまれるだろう。
普通に考えても医者が仲間の兵の手当をしないと、
スパイ容疑を掛けられてもしかたがない。

場合によってはその場で撃たれても文句は言えない。

撃たれたら死んでいるから文句は言えないな。

そんな馬鹿なことが頭を過る。

意を決して針を傷ついた兵の頭に通す。
兵の呻きが聞こえる。
やがて静かになる。

不思議だ。

体が覚えているように傷口を縫合する自分がいる。

全ての処置が終わると俺は道具を彼女に返した。

「はい。お疲れ。」

彼女はそう言うとどこかへ行ってしまった。

アベルが近寄ってきた。

「まだ俺に何か用か。」

ついつい口が過ぎてしまう。

「すまない。」

意外な言葉が返ってきた。

「すまない。迷惑かけたな。」
「お前の言うとおり今夜は少し飲み過ぎた。」
「お前の釣ってきた魚で酒を飲んで、お前に迷惑掛けたのでは
立場がない。」

「それとダン、お前にも詫びるよ。悪かった。」

そういうとアベルは静かにその場を立ち去った。

良いところもあるじゃないかと思った矢先、ダンと呼ばれる兵が
目を覚まして起き上がってきた。

「ドクター トライ・・オード・・・?。」

彼は頭の傷に手をやり、包帯が巻かれていることを知るとこう言った。

「申し訳ない。戦いで傷ついて手当を受ける筈が、よりによって喧嘩で
手当を受けることになるとは。」

「いや、いいんだ。」

「ところで・・・。」

「あぁ、アベルか。」
「彼はもう行ったよ。飲み過ぎて悪かったと言っていた。」

彼は笑っていた。

「そうか・・・。あいつはああは見えて実は良い奴なんだ。」
「あいつは戦場ではいつも一番前にいる。」
「そして声を張り上げて皆を勇気づけている。」
「あいつがいるから戦場の恐怖もいくらか和らぐんだ。」

「そうなのか。」

ダンは話を続けた。

「ドクターもあいつに絡まれたそうだが、許してやってくれ。」
「あいつがいなかったら死んでいた兵も大勢いる。」

「・・・そういう奴なんだ。アベルは。まったく損な奴だよ。」

ダンは怪我をさせたアベルのことを庇っている。
戦場の仲間とはこういうものなのだろう。

ダンの話を聞いていると彼女が戻ってきた。

「ドクター!あっちでクレイグ大佐が呼んでるよ。」

「宜しく頼むよ。」

ダンはそう言うとぐったりと横になった。

俺は大佐の所へ急いだ。

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