・徒然なる日常

心の闇

2014/11/03

昨今の社会変化の影といえば良いのか、
心の闇から引き起こされる事件事故が増えているように感じます。

善悪の区別がつかない。
自己制御がきかない。

心の闇は社会の亀裂から生まれるのかもしれません。

昔は地域社会の中で子供が育ち、
良い行いをすれば褒められ、
悪い行いをすれば叱られていました。

成長の過程で自然と身についていったのでしょう。

それと比較して現在では地域社会との関わりが希薄であったり、
家庭環境の変化などから、褒められる、叱られることが
十分でないまま大人になるのかもしれません。

誰も(正しく)褒めない(正しく)叱らない。

職場で「親にも怒られたことがない」という場面がありました。

自分はそれほど「優秀」だったのに。
私を叱るあなたに問題があるのでは。

本人は自己弁護か自慢のつもりでしょうが、
他人が聞けばそうは聞こえません。

叱られることに免疫がないので
それには「反発」という感情しか返ってきません。

職場から勝手に帰ったり。
次の日から出社しなかったり。

酷い時には翌日、退職届と貸与物が
会社に宅配されてきた経験もあります。

もちろん私自身が人として未熟あることも
疑いようのない事実であり、原因の一つです。

今の世の中で「叱る」「叱られる」ことは
非常に難しいものになっていると思います。

会社では雇用の問題から叱りたくても叱れない。
叱られたことがないので叱り方も叱られ方も判らない。

社会でもルールやモラルに反する行為をしている人に
注意をすることは非常に勇気、いや覚悟が必要です。

場合によっては命がけです。

注意されたことを逆恨みされた事件も後を絶ちません。
自己防衛の為にやがて社会は見て見ぬふりをします。

別にそれが悪いと言っているのではありません。
タバコ1本を注意したことで命を落とすこともないでしょう。

最初に心の闇は社会の亀裂からと書いたのは、
社会の構造に変化が見られなければ、
この状況が改善されるのは困難であると思います。

この問題の背景には教育以外に経済や雇用も関連しそうですし、
マクロな観点でみれば、国際社会と資本主義にまで及ぶような気もします。

私も多くの方と同じで、
注意をするかといえばケースバイケースですし、
私の大切なものを奪われたり壊されたとき、
平静でいられるかと問われれば答えはNOです。

被害者であり、同時に加害者になっているかもしれません。
これも心の闇の連鎖による結果なのでしょうか。

やられたらやりかえす。
逆を言えば、やられなければやりかえすこともない。
やられないを逆の立場で見ればやらない。

やらない。

この為に必要な道徳を含む教育システムなどが
かつての社会にはあったのでしょうか。

思いやりが育ち難い世の中なのかもしれません。

現代社会の闇は人間以外にも及びます。

人の痛みが判らければ
他の生命の痛みも判らないのでしょうか。

私も生きる為に他の動物を食しているので、
捕食を否定するものではありません。

車にも乗るので他の動物の生活を脅かしたり、
環境を破壊している一員でもあります。

それでも私の命は多くの命に支えられて保たれているのですから、
他の動物の為に必要な常識的な最低限のマナーは
守っていきたいと思いますし、そうであるべきと考えています。

例えそれが人間が人間の立場で考えられたものであっても。

理想は持ちつつ、その世の中に即した現実的な手段であれば、
人は理想に近づく力を持っていると信じています。

それが何百年という時間を要しても。

しかし消えていく命が多いことも事実です。

下記のリンクは環境省による
動物の遺棄・虐待に関する報告書です。
平成19年度 動物の遺棄・虐待事例等調査報告書
平成21年度 動物の遺棄・虐待事例等調査報告書

この報告書に書かれている事例も社会の亀裂から
生まれた人の心の闇によるものなのかもしれません。

私にも闇はあります。
時に人を傷つけることもあります。

助言を聞く耳を閉じてしまうことがあるかもしれません。

もし私が闇に支配されたら。
そのときは遠慮はいりません。

静かに私から去ってください。

そして、私は始めて気づくのでしょう。
助言してくださる方のありがたさを。

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